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韓国人は何処から来たか 単行本 – 2014/1/1
長浜 浩明
(著)
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- 本の長さ205ページ
- 言語日本語
- 出版社展転社
- 発売日2014/1/1
- 寸法13.2 x 1.3 x 18.9 cm
- ISBN-104886563961
- ISBN-13978-4886563965
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登録情報
- 出版社 : 展転社 (2014/1/1)
- 発売日 : 2014/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 205ページ
- ISBN-10 : 4886563961
- ISBN-13 : 978-4886563965
- 寸法 : 13.2 x 1.3 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 302,404位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 162位韓国・朝鮮史
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2019年8月2日に日本でレビュー済み
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縄文人の活発な動き。新潟糸魚川のヒスイが沖縄まで流れ、更に、人口密度の希薄な朝鮮半島を縄文人が移住しそこに前方後円墳まで築き縄文人の骨格が出土し韓人とはまったく異なることを実証。稲作は弥生時代に韓からもたらされたとの歴史教科書のウソのこと、縄文期には稲作はすでにあったこと、そしてその時期、倭人と韓の間には通訳なしで会話がなされたと聞いて不思議に思っていたが、なるほど、縄文人同士ならば海を隔てても会話はできると納得したこと。この本は韓じゃなく、日本の縄文人の話なのです。
2023年11月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
韓国人気質から語られる韓国史については大変違和感がありましたが各種資料から読み解き、解説されている本書は説得力があり、すんなりと腑に落ちました。
2014年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
DNA・遺伝子、出土する古墳や装飾品、人骨、
日本、中国、朝鮮、高句麗等の各種記録から
古代朝鮮半島、とくに半島南部は
日本人種が住んでいたことがよくわかる本です。
現在の日本人と韓国・朝鮮人とは遺伝子上にも
大きく隔たりがあり、朝鮮民族は
モンゴル・中国系に近いものとなっており、
古代朝鮮時代で発掘される人骨からわかる遺伝子と
は大きく変質しています。
(古代朝鮮人の骨格や遺伝子は、日本人と極めて近い)
北方民族の朝鮮半島への度重なる侵攻や支配により、
交配が繰り返され、遺伝子が入れ替わってしまったこともわかります。
現代の基準で言えば半島南部(全羅道・慶尚道)
は日本人種のものでした。
日本、中国、朝鮮、高句麗等の各種記録から
古代朝鮮半島、とくに半島南部は
日本人種が住んでいたことがよくわかる本です。
現在の日本人と韓国・朝鮮人とは遺伝子上にも
大きく隔たりがあり、朝鮮民族は
モンゴル・中国系に近いものとなっており、
古代朝鮮時代で発掘される人骨からわかる遺伝子と
は大きく変質しています。
(古代朝鮮人の骨格や遺伝子は、日本人と極めて近い)
北方民族の朝鮮半島への度重なる侵攻や支配により、
交配が繰り返され、遺伝子が入れ替わってしまったこともわかります。
現代の基準で言えば半島南部(全羅道・慶尚道)
は日本人種のものでした。
2017年3月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
出版社からの直しは無かったのでしょうか? 理系と言うだけあり読み難いです。
土器や人骨、歴史書や言語など項目を分けて述べるのではなく、時間を元に述べた方が解り易い気がしました。
近親婚に関して:現在の日本でも「従兄弟同士の婚姻は認められている」とは言っても、積極的に従兄弟同士を結婚させようという風潮はありません。少なくとも私の周りでは。結婚相手が見つからなくてしょうがなくとか、コッソリ子供が出来てしまったといった感じだと思うのですが。
シナでは長い近親婚の結果「不妊になりやすく家が断絶する恐れがある」などの弊害が解り族外婚を制度化したとありますが、日本にはこの説明を用いないのはあまりに不自然だと思いました。少し例はありますが、もっと具体例が欲しいです。私の感覚では従兄弟同士は結構近いです。
言語に関して:恐らくその通りだと思うので、語気をもっと強めた方が良いと思います。
最後に各章の纏め部分で地図を示し解説を入れれば、大分解りやすくなると思います。
土器や人骨、歴史書や言語など項目を分けて述べるのではなく、時間を元に述べた方が解り易い気がしました。
近親婚に関して:現在の日本でも「従兄弟同士の婚姻は認められている」とは言っても、積極的に従兄弟同士を結婚させようという風潮はありません。少なくとも私の周りでは。結婚相手が見つからなくてしょうがなくとか、コッソリ子供が出来てしまったといった感じだと思うのですが。
シナでは長い近親婚の結果「不妊になりやすく家が断絶する恐れがある」などの弊害が解り族外婚を制度化したとありますが、日本にはこの説明を用いないのはあまりに不自然だと思いました。少し例はありますが、もっと具体例が欲しいです。私の感覚では従兄弟同士は結構近いです。
言語に関して:恐らくその通りだと思うので、語気をもっと強めた方が良いと思います。
最後に各章の纏め部分で地図を示し解説を入れれば、大分解りやすくなると思います。
2018年6月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
めちゃめちゃ面白かった。やはりデータで話をされると説得力が違いますね。
2015年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「日韓併合」チェ・ケイホ著、「親日派のための弁明」①②キム・ワンソブ著、日韓「禁断の歴史」キム・ワンソブ著のように、反日教育の韓国・北朝鮮から外国に出て古代から現代までの朝鮮半島の歴史を第3者的に冷静に直視すれば、日本が任那、百済、高句麗滅亡時の王族・貴族・庶民の多くの難民を受け入れ、特に日清戦争以後に果たした大きな貢献に対して感謝するはずだが、歴史無知と儒教の悪いミニ中華思想と属国劣等感から夜郎自大の妄想の世界に浸っているのが朝鮮半島に閉じこもっている今の韓国・朝鮮人である。
恐らく、19世紀末の朝鮮に関するイザベラ・バード著「朝鮮紀行—英国婦人の見た李朝末期」(時岡敬子訳/講談社学術文庫)に記述されている李氏朝鮮時代の先祖の悲惨な状況を知らないし、また直視したくないこともあるだろう。 従って、今の韓国・朝鮮人は下記の歴史的事実を直視して大いに反省しなければ、日本人との真の友好はありえない。
(1)韓半島に伝わる最古の正史「三国史記・新羅本紀」によれば、新羅の建国時の宰相(瓢公)は倭人(日本人)であり、始祖の朴赫居世についても倭人(日本人)説があること(瓢=ひさご・ひょうたん=朴=半島南部古語)、王家の一つ昔氏の第4代王昔脱解は倭種・倭人(日本人)であり、新羅の建国当初は倭種・倭人が王位や大輔を占めるほど多大な役割を演じたばかりか、<倭・倭コンビ>がいなかったら、その後36人の新羅王が輩出する金王室もありえなかった。さらに金王室36代王の姪と高麗の始祖王との間に生まれた子供の流れが8代目以降の高麗王を占め、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた王朝である高麗王朝にも流れ込んでいる。
(2)遺伝子、出土する古墳や装飾品、人骨、日本・中国・朝鮮・高句麗等の各種記録から古代朝鮮半島、とくに半島南部は日本人種が住んでおり(古代朝鮮人の骨格や遺伝子は日本人と極めて近い)、現代の基準で言えば半島南部(全羅道・慶尚道)は日本人種のものであった。 例えば、
◎ 半島南部の先住民が倭人(日本人)(弥生人=百越系民族)であること
(半島南部考古学的遺物=九州北部遺物)
◎ 百済、新羅は日本の大和朝廷に対し従属(植民地)的地位にあったこと
◎ 大和朝廷(日本)による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
しかし、現在の日本人と韓国・朝鮮人とは遺伝子上にも大きく隔たりがあり、朝鮮民族はモンゴル・中国系に近いものとなっており、古代朝鮮時代で発掘される人骨からわかる遺伝子とは大きく変質しているが、これは北方民族の朝鮮半島への度重なる侵攻や支配により、交配が繰り返され、遺伝子が入れ替わってしまったわけで、特に、AD 660百済滅亡・AD 663白村江の敗戦・AD 668高句麗滅亡により,百済・高句麗の王族・貴族・庶民等の多くの難民を日本が受け入れたが、残った男性は唐・新羅軍に殺され、女性は犯されて北シナ人の唐と新羅の子孫を残している。
そして、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた高麗王朝に引き継がれたが、モンゴル「元」に攻められてかなりの倭種・倭人(日本人)系男性が殺され、「征服者は女性同伴ではなく、単身でやってきて半島女性と交わり子孫を残した」わけで、現在の韓国・朝鮮人の主な人種形成はやはり13世紀あたりのようです。
その後、高麗王朝を簒奪したAD 1392成立の蒙古・満州(女真人)系李氏朝鮮では、更に残っていた倭種・倭人(日本人)系男性が殺され、女性は犯されて、現在まで継続する蒙古・満州(女真人)系の韓国・朝鮮人種形成が決定した結果、Y染色体DNAパターンではモンゴルが源流のタイプC(14%)・K(8%)や北部シナ人が源流のタイプO(40%)が日本人よりも大きな頻度で存在し、新羅系倭種・倭人(日本人)の余韻である日本人特有のタイプD・O2b1が激減している。
しかし、「かなりの韓国人女性のミトコンドリアDNAは倭種・倭人(日本人)と相同」なので、征服者は女性同伴ではなく単身でやって来て半島人女性と交わり子孫を残した、つまり、モンゴルや北方シナの征服により「倭種・倭人(日本人)系女性を母」に、「モンゴルや北方シナの征服者を父」に持つ新たな混血民族が誕生したが、それが現在の蒙古・満州(女真人)系韓国・朝鮮人である。
従って、かなりの韓国・朝鮮人女性のミトコンドリアDNAは倭種・倭人(日本人)と相同であるが、肝心なY染色体DNAパターンにおいて、(YAP+因子)の倭種・倭人(日本人)と現在の蒙古・満州(女真人)系韓国・朝鮮人は大きく隔たりがあり、結論として、本書の第1部「韓国人は日本人と北方シナ人との混血だった」は間違いではないが誤解を招く不適切な表現と思われる。
(3)朝鮮人の遺伝子の特徴について、米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、 これは過去において大きな Genetic Drift(少数の人間が 近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的 に繰り返す文化の持ち主だった事を表します。 (文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution.1995. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0)
韓国では、昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、女性が 足りず近親相姦が繰り返されてきた。遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が大多数見つかっている。
この詳細は当該本の第7章 「韓民族は近親婚・近親相姦集団だった」を参照してもらいたいが、世界中で最も性的不道徳な民族は韓民族であり、その証拠に、韓国・朝鮮人は今も売春、強姦、性接待等の性犯罪多発で世界中を騒がせ恥をさらして軽蔑されている。
ところで、下記の出典は竹下義朗氏ブログ「帝国電網省・歴史再考」であり、これ以外にもここには関連小論があるので参考にして下さい。
(1)韓半島に伝わる最古の正史「三国史記・新羅本紀」によれば、新羅の第4代王昔脱解は倭種・倭人(日本人)であり、新羅の建国当初は倭種・倭人が王位や大輔を占めるほど多大な役割を演じたばかりか、<倭・倭コンビ>がいなかったら、その後36人の新羅王が輩出する金王室もありえなかった。さらに金王室36代王の姪と高麗の始祖王との間に生まれた子供の流れが8代目以降の高麗王を占め、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた王朝・国である高麗王朝にも流れ込んでいる。
(2)李氏朝鮮以前の高麗人官吏・趙彝の提案が発端となった「日本征服」作戦はフビライの命令によって、戦費全額を高麗が負担、軍船900余隻の建造をしたのです。
更に、艦隊の発進基地(港)・兵士約6000人・水夫(軍艦の漕ぎ手)約6700人・兵糧(食糧)を提供しました(文永の役)。つまり、元の「征日本国軍」の主力は、事実上、高麗だったと言う事なのです。
又、第二次日本侵攻(弘安の役)の際にも、軍船900隻・兵士1万人・水夫1万5千人・兵糧を提供し、高麗人・金方慶を将とする「東路軍」4万の兵を編成、元によって征服された南宋の残存艦隊によって編成された「江南軍」10万の兵と共に、再び日本へと軍事侵攻しました。これは裏を返せば、高麗人官吏・趙彝がフビライに「日本征服」を吹き込まず、高麗が陰に日向に元軍を支援しなかったとしたら、ひょっとしたら、元寇は起こらなかったかも知れない。
日本による「朝鮮侵略」に、「日帝三十六年」(朝鮮総督府統治時代)と共に、太閤・豊臣秀吉の「朝鮮征伐」をよく引き合いに出しますが、元寇の際に、事実上の主力軍として日本に侵攻した高麗の事を、彼ら高麗末裔の現在の朝鮮人は一体どう考えているのでしょうか。 この復讐のために、被害にあった西日本の大名主体による豊臣秀吉の朝鮮征伐が行われた面もあると言われている。
(3)漢城(現ソウル)郊外の三田渡の地に於いて、仁祖王に「三跪九叩頭の礼」を以て清帝に対する臣従を誓わせた時の模様を後世に伝える為に建立された物が『三田渡碑』であり、これ以後、朝鮮は、1894(明治27)年の日清戦争の結果によって、1897(明治30)年に「大韓帝国」として独立する迄、清朝の属国であり続けたのです。
また、1897年に建立された「独立門」とは、朝鮮の清朝からの独立を記念して建立されたものであり、決して日本からの独立を記念して建立されたものでは無かった訳です。
然し、にも関わらず、何故、「独立門」が「日本からの独立」を記念して建立されたが如く、曲解されてしまったのでしょうか? それは、『三田渡碑』に勝る共劣らない屈辱を朝鮮は清朝から受け続けてきたからなのです。
かって、「独立門」が建っている場所には全く別の門が建っていました。その名を「迎恩門(ヨンウンムン)」と言います。朝鮮が清朝の属国であった時代、遠く北京から清帝の名代がやって来ると、歴代の朝鮮国王は漢城の王宮を出て、郊外の「迎恩門」迄わざわざ出向き、清帝の名代に対して、清帝に対するのと全く同じ様に「三跪九叩頭の礼」を以て名代を迎えさせられたと言います。
「迎恩門」解体から「独立門」建立に至る経緯をすり替え、恰も「独立門」の「独立」が「日本からの独立」を意味する等と主張する事は、彼ら朝鮮人が常日頃から日本に対して事ある事に是正を要求してくる「正しい歴史」に対する歪曲であり、捏造ではないのか?
彼ら朝鮮人は、それでトラウマを克服し、プライドを取り戻す ── 溜飲を下げる ── のかも知れませんが、日本にとっては正にいい迷惑です。
(4)1392年の成立から1910年の日韓併合迄、実に27代500年余の長きに亘って、朝鮮半島に君臨したコリア史上最後の王朝、李氏朝鮮の創業者である李成桂 ── 太祖は、高麗王朝に仕える有力な武将であった。
李成桂の四代前の高祖父は、名を「李安社」と言いますが、実は、彼の官職が問題なのです。元朝(蒙古)の正史である『元史』には、李安社が、元朝に仕える地方官吏「達魯花赤」(ダルガチ)であり、李成桂の父は名を「子春」と言い、子の成桂と同じ「咸鏡道万戸兼東北面兵馬使」の官職を高麗王朝から授かっていました。
然し、問題は「子春」のもう一つの名前です。彼には「吾魯思不花」(ウルス-ブハ Ulus Buqa)と言う蒙古(モンゴル)名があったのです。いや、そればかりか、李成桂の伯父(おじ)達、詰まり、李子春の兄弟も、完者不花(オルジェイ-ブハ Ölǰei Buqa)、那海(ノカイ Noqai)、塔思不花(タシ-ブハ Tasi Buqa)と言った蒙古名を皆持っており、此等の事実から、李成桂の家系が純粋な高麗人では無かった事は明白。
高麗人と女真人が混雑していた出身地・咸鏡道の地域性と、父親兄弟が皆、蒙古名を持っていた事実から、李成桂の家系が、高麗人に女真の血が混じった混血だった可能性が高い訳です。
然し、李成桂の家系が、寧(むし)ろ、女真人に高麗の血が混じった混血、或(ある)いは、女真人そのものだったのでは無いかと見ています。つまり、コリア最後の王朝として500年余に亘り、朝鮮半島に君臨した李朝が、実際は純粋な朝鮮人の王朝では無く、満州人の王朝だったと言う事です。そのために、皇后は満州(モンゴル)人が多い。
初代大韓皇帝・高宗の子であり、且つ、日韓併合によって退位し、昭和元(1926)年に薨去した二代大韓皇帝・純宗の王位継承者であった英親王・李垠殿下は存命していました。
しかし、戦後のコリアに王朝が復興されなかったのは、日本の「奪国王」により王家が断絶した事が理由では無く、彼らコリア人が自らの意志として、王朝復興を為(な)しなかった事が主因である訳です。一方で「国王を奪われた」と言いつつ、復興する機会が到来したにも関わらず、敢えて「国王を復位させなかった」のがコリアである。
(5)668年の新羅(シルラ,しらぎ)による朝鮮半島統一から1897年大韓帝国(旧称・李氏朝鮮;李朝)の成立に至る1200年間、歴代中華帝国に間接的に支配され、実は「独立国」ではなかった。つまり清朝は李朝に対する「宗属関係」(宗主国と属国の関係)を主張し、欧米列強も李朝を「独立国」として認めず、清朝の「属国」・「属領」として認知していた中、日本だけが唯一、李朝を「独立国」として承認した。
日本は朝鮮半島政策を巡って、「宗主権」を主張する清朝と対立、明治27(1894)年、遂に日清戦争へと発展した結果は日本の圧倒的勝利に終わり、下関条約により清朝は遂に李朝に対する「宗主権」を放棄、明治30(1897)年、李朝は国号(国名)を「大韓帝国」、国王を「皇帝」と改称し、遂に「独立」を達成した。言い換えれば、日清戦争における日本の勝利が無ければ、李朝は「独立国」となれなかった。
(6)「日韓併合」以来、年に一千数百万円から二千万円(当時の金額)もの一般経費補充金が、朝鮮総督府特別会計に補填され、その財政運営を支え続けたのですが、これらの資金は朝鮮人から搾取したものではなく、日本の国家予算(とどのつまりが、日本国民から徴収した「血税」)や、日本の金融市場で調達した公債だったのです。
朝鮮半島のインフラを整備したのは、朝鮮総督府だったと言う事実です。戦後、韓国は「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる国家の復興と高度経済成長を自慢しますが、その多くは、「日帝時代」に整備されたものなのです。朝鮮半島全土に張り巡らされた道路網・鉄道網・港湾施設等の交通インフラは、朝鮮総督府時代に、日本から投資した資金を元手にして建設整備されたのです。
朝鮮総督府は、治山・治水工事を筆頭に、荒れ地の開墾・干拓・灌漑用水の整備と農業インフラの整備をし、更に、粗放農業から集約農法へと転換させ、冬季等の農業閑散期には在宅副業等を奨励し、農民の意識と生活水準の向上を図ったのです。その結果、慢性的な食糧不足に苦しんでいた朝鮮半島は米の増産に成功し、遂には内地(日本本土)へ「輸出」する迄になったのです。
「創氏改名」は朝鮮総督府による「強制」では無く、朝鮮人側からの要望でなされた措置で、「自己申告」制だったのです。(「創氏改名」と言い、「日韓併合」・「日本語教育」と言い、朝鮮側から発議されたものが、「日帝」による強制に変わってしまうのですから、何とも釈然としません)
この「創氏改名」は内地に出稼ぎ労働に来た朝鮮人が、朝鮮人である事で、待遇等で「差別」されない様に、「日本名」を名乗る事を許可した措置なのです。そして、「創氏改名」は、日本と朝鮮が「同文・同種」で「同祖」であると言う思想(「日韓併合」・「日鮮合邦」の根本理念)に基づいたもので、現に、朝鮮半島と同様に、総督府が設置されていた台湾に対しては、「創氏改名」は許可制で、その審査基準も極めて厳しいものでした。
又、「創氏改名」が朝鮮人を「人種差別」する為になされた措置だと主張する人がいますが、これも違います。 例えば、朝鮮半島出身の生粋の朝鮮人であるにも関わらず、帝国陸軍に入隊し、遂には「陸軍大将」と言う陸軍最高の地位にまで登りつめ、最後まで「帝国軍人」として自らを全うした人もいました。
(7)「在日朝鮮人の帰国協力会」の代表委員に就任し、 在日朝鮮人の北朝鮮送還のため積極的に活動した小泉純也は、鹿児島県万世町朝鮮人部落出身の朝鮮人で鮫島姓を名乗り、小泉又次郎代議士の秘書となってその娘芳江との駆け落ち事件を通じて婿入りして小泉純一郎が生まれたことは周知の事実で、小泉純一郎は韓国大統領李明博とそっくりの朝鮮人顔立ちである。
金正日と初会談したときに、空白の10分間があったようだが、その時に小泉純一郎は北朝鮮での先祖のことを金正日から告げられたとも言われており、なんらかの妥協・譲歩が成された可能性がある。 それが覚醒剤、パチンコ換金取締り緩和なのか不明だが。。。。
一般的に、日本に北朝鮮製の覚醒剤が蔓延しているのは、その販路を取り仕切っている暴力団に在日朝鮮・韓国人が多く、パチンコ同様に警察にもいろいろなことでその分け前が入っているので取り締まりが緩いとも言われている。
スパイ天国の日本に、北朝鮮がわざわざ返還した拉致被害者の中にスパイを紛れ込ます必要はないはずで、朝鮮総連を動かせば必要な情報はいくらでも入手できるのが北朝鮮(金正日・金正恩)である。
恐らく、19世紀末の朝鮮に関するイザベラ・バード著「朝鮮紀行—英国婦人の見た李朝末期」(時岡敬子訳/講談社学術文庫)に記述されている李氏朝鮮時代の先祖の悲惨な状況を知らないし、また直視したくないこともあるだろう。 従って、今の韓国・朝鮮人は下記の歴史的事実を直視して大いに反省しなければ、日本人との真の友好はありえない。
(1)韓半島に伝わる最古の正史「三国史記・新羅本紀」によれば、新羅の建国時の宰相(瓢公)は倭人(日本人)であり、始祖の朴赫居世についても倭人(日本人)説があること(瓢=ひさご・ひょうたん=朴=半島南部古語)、王家の一つ昔氏の第4代王昔脱解は倭種・倭人(日本人)であり、新羅の建国当初は倭種・倭人が王位や大輔を占めるほど多大な役割を演じたばかりか、<倭・倭コンビ>がいなかったら、その後36人の新羅王が輩出する金王室もありえなかった。さらに金王室36代王の姪と高麗の始祖王との間に生まれた子供の流れが8代目以降の高麗王を占め、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた王朝である高麗王朝にも流れ込んでいる。
(2)遺伝子、出土する古墳や装飾品、人骨、日本・中国・朝鮮・高句麗等の各種記録から古代朝鮮半島、とくに半島南部は日本人種が住んでおり(古代朝鮮人の骨格や遺伝子は日本人と極めて近い)、現代の基準で言えば半島南部(全羅道・慶尚道)は日本人種のものであった。 例えば、
◎ 半島南部の先住民が倭人(日本人)(弥生人=百越系民族)であること
(半島南部考古学的遺物=九州北部遺物)
◎ 百済、新羅は日本の大和朝廷に対し従属(植民地)的地位にあったこと
◎ 大和朝廷(日本)による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
しかし、現在の日本人と韓国・朝鮮人とは遺伝子上にも大きく隔たりがあり、朝鮮民族はモンゴル・中国系に近いものとなっており、古代朝鮮時代で発掘される人骨からわかる遺伝子とは大きく変質しているが、これは北方民族の朝鮮半島への度重なる侵攻や支配により、交配が繰り返され、遺伝子が入れ替わってしまったわけで、特に、AD 660百済滅亡・AD 663白村江の敗戦・AD 668高句麗滅亡により,百済・高句麗の王族・貴族・庶民等の多くの難民を日本が受け入れたが、残った男性は唐・新羅軍に殺され、女性は犯されて北シナ人の唐と新羅の子孫を残している。
そして、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた高麗王朝に引き継がれたが、モンゴル「元」に攻められてかなりの倭種・倭人(日本人)系男性が殺され、「征服者は女性同伴ではなく、単身でやってきて半島女性と交わり子孫を残した」わけで、現在の韓国・朝鮮人の主な人種形成はやはり13世紀あたりのようです。
その後、高麗王朝を簒奪したAD 1392成立の蒙古・満州(女真人)系李氏朝鮮では、更に残っていた倭種・倭人(日本人)系男性が殺され、女性は犯されて、現在まで継続する蒙古・満州(女真人)系の韓国・朝鮮人種形成が決定した結果、Y染色体DNAパターンではモンゴルが源流のタイプC(14%)・K(8%)や北部シナ人が源流のタイプO(40%)が日本人よりも大きな頻度で存在し、新羅系倭種・倭人(日本人)の余韻である日本人特有のタイプD・O2b1が激減している。
しかし、「かなりの韓国人女性のミトコンドリアDNAは倭種・倭人(日本人)と相同」なので、征服者は女性同伴ではなく単身でやって来て半島人女性と交わり子孫を残した、つまり、モンゴルや北方シナの征服により「倭種・倭人(日本人)系女性を母」に、「モンゴルや北方シナの征服者を父」に持つ新たな混血民族が誕生したが、それが現在の蒙古・満州(女真人)系韓国・朝鮮人である。
従って、かなりの韓国・朝鮮人女性のミトコンドリアDNAは倭種・倭人(日本人)と相同であるが、肝心なY染色体DNAパターンにおいて、(YAP+因子)の倭種・倭人(日本人)と現在の蒙古・満州(女真人)系韓国・朝鮮人は大きく隔たりがあり、結論として、本書の第1部「韓国人は日本人と北方シナ人との混血だった」は間違いではないが誤解を招く不適切な表現と思われる。
(3)朝鮮人の遺伝子の特徴について、米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、 これは過去において大きな Genetic Drift(少数の人間が 近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的 に繰り返す文化の持ち主だった事を表します。 (文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution.1995. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0)
韓国では、昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、女性が 足りず近親相姦が繰り返されてきた。遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が大多数見つかっている。
この詳細は当該本の第7章 「韓民族は近親婚・近親相姦集団だった」を参照してもらいたいが、世界中で最も性的不道徳な民族は韓民族であり、その証拠に、韓国・朝鮮人は今も売春、強姦、性接待等の性犯罪多発で世界中を騒がせ恥をさらして軽蔑されている。
ところで、下記の出典は竹下義朗氏ブログ「帝国電網省・歴史再考」であり、これ以外にもここには関連小論があるので参考にして下さい。
(1)韓半島に伝わる最古の正史「三国史記・新羅本紀」によれば、新羅の第4代王昔脱解は倭種・倭人(日本人)であり、新羅の建国当初は倭種・倭人が王位や大輔を占めるほど多大な役割を演じたばかりか、<倭・倭コンビ>がいなかったら、その後36人の新羅王が輩出する金王室もありえなかった。さらに金王室36代王の姪と高麗の始祖王との間に生まれた子供の流れが8代目以降の高麗王を占め、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた王朝・国である高麗王朝にも流れ込んでいる。
(2)李氏朝鮮以前の高麗人官吏・趙彝の提案が発端となった「日本征服」作戦はフビライの命令によって、戦費全額を高麗が負担、軍船900余隻の建造をしたのです。
更に、艦隊の発進基地(港)・兵士約6000人・水夫(軍艦の漕ぎ手)約6700人・兵糧(食糧)を提供しました(文永の役)。つまり、元の「征日本国軍」の主力は、事実上、高麗だったと言う事なのです。
又、第二次日本侵攻(弘安の役)の際にも、軍船900隻・兵士1万人・水夫1万5千人・兵糧を提供し、高麗人・金方慶を将とする「東路軍」4万の兵を編成、元によって征服された南宋の残存艦隊によって編成された「江南軍」10万の兵と共に、再び日本へと軍事侵攻しました。これは裏を返せば、高麗人官吏・趙彝がフビライに「日本征服」を吹き込まず、高麗が陰に日向に元軍を支援しなかったとしたら、ひょっとしたら、元寇は起こらなかったかも知れない。
日本による「朝鮮侵略」に、「日帝三十六年」(朝鮮総督府統治時代)と共に、太閤・豊臣秀吉の「朝鮮征伐」をよく引き合いに出しますが、元寇の際に、事実上の主力軍として日本に侵攻した高麗の事を、彼ら高麗末裔の現在の朝鮮人は一体どう考えているのでしょうか。 この復讐のために、被害にあった西日本の大名主体による豊臣秀吉の朝鮮征伐が行われた面もあると言われている。
(3)漢城(現ソウル)郊外の三田渡の地に於いて、仁祖王に「三跪九叩頭の礼」を以て清帝に対する臣従を誓わせた時の模様を後世に伝える為に建立された物が『三田渡碑』であり、これ以後、朝鮮は、1894(明治27)年の日清戦争の結果によって、1897(明治30)年に「大韓帝国」として独立する迄、清朝の属国であり続けたのです。
また、1897年に建立された「独立門」とは、朝鮮の清朝からの独立を記念して建立されたものであり、決して日本からの独立を記念して建立されたものでは無かった訳です。
然し、にも関わらず、何故、「独立門」が「日本からの独立」を記念して建立されたが如く、曲解されてしまったのでしょうか? それは、『三田渡碑』に勝る共劣らない屈辱を朝鮮は清朝から受け続けてきたからなのです。
かって、「独立門」が建っている場所には全く別の門が建っていました。その名を「迎恩門(ヨンウンムン)」と言います。朝鮮が清朝の属国であった時代、遠く北京から清帝の名代がやって来ると、歴代の朝鮮国王は漢城の王宮を出て、郊外の「迎恩門」迄わざわざ出向き、清帝の名代に対して、清帝に対するのと全く同じ様に「三跪九叩頭の礼」を以て名代を迎えさせられたと言います。
「迎恩門」解体から「独立門」建立に至る経緯をすり替え、恰も「独立門」の「独立」が「日本からの独立」を意味する等と主張する事は、彼ら朝鮮人が常日頃から日本に対して事ある事に是正を要求してくる「正しい歴史」に対する歪曲であり、捏造ではないのか?
彼ら朝鮮人は、それでトラウマを克服し、プライドを取り戻す ── 溜飲を下げる ── のかも知れませんが、日本にとっては正にいい迷惑です。
(4)1392年の成立から1910年の日韓併合迄、実に27代500年余の長きに亘って、朝鮮半島に君臨したコリア史上最後の王朝、李氏朝鮮の創業者である李成桂 ── 太祖は、高麗王朝に仕える有力な武将であった。
李成桂の四代前の高祖父は、名を「李安社」と言いますが、実は、彼の官職が問題なのです。元朝(蒙古)の正史である『元史』には、李安社が、元朝に仕える地方官吏「達魯花赤」(ダルガチ)であり、李成桂の父は名を「子春」と言い、子の成桂と同じ「咸鏡道万戸兼東北面兵馬使」の官職を高麗王朝から授かっていました。
然し、問題は「子春」のもう一つの名前です。彼には「吾魯思不花」(ウルス-ブハ Ulus Buqa)と言う蒙古(モンゴル)名があったのです。いや、そればかりか、李成桂の伯父(おじ)達、詰まり、李子春の兄弟も、完者不花(オルジェイ-ブハ Ölǰei Buqa)、那海(ノカイ Noqai)、塔思不花(タシ-ブハ Tasi Buqa)と言った蒙古名を皆持っており、此等の事実から、李成桂の家系が純粋な高麗人では無かった事は明白。
高麗人と女真人が混雑していた出身地・咸鏡道の地域性と、父親兄弟が皆、蒙古名を持っていた事実から、李成桂の家系が、高麗人に女真の血が混じった混血だった可能性が高い訳です。
然し、李成桂の家系が、寧(むし)ろ、女真人に高麗の血が混じった混血、或(ある)いは、女真人そのものだったのでは無いかと見ています。つまり、コリア最後の王朝として500年余に亘り、朝鮮半島に君臨した李朝が、実際は純粋な朝鮮人の王朝では無く、満州人の王朝だったと言う事です。そのために、皇后は満州(モンゴル)人が多い。
初代大韓皇帝・高宗の子であり、且つ、日韓併合によって退位し、昭和元(1926)年に薨去した二代大韓皇帝・純宗の王位継承者であった英親王・李垠殿下は存命していました。
しかし、戦後のコリアに王朝が復興されなかったのは、日本の「奪国王」により王家が断絶した事が理由では無く、彼らコリア人が自らの意志として、王朝復興を為(な)しなかった事が主因である訳です。一方で「国王を奪われた」と言いつつ、復興する機会が到来したにも関わらず、敢えて「国王を復位させなかった」のがコリアである。
(5)668年の新羅(シルラ,しらぎ)による朝鮮半島統一から1897年大韓帝国(旧称・李氏朝鮮;李朝)の成立に至る1200年間、歴代中華帝国に間接的に支配され、実は「独立国」ではなかった。つまり清朝は李朝に対する「宗属関係」(宗主国と属国の関係)を主張し、欧米列強も李朝を「独立国」として認めず、清朝の「属国」・「属領」として認知していた中、日本だけが唯一、李朝を「独立国」として承認した。
日本は朝鮮半島政策を巡って、「宗主権」を主張する清朝と対立、明治27(1894)年、遂に日清戦争へと発展した結果は日本の圧倒的勝利に終わり、下関条約により清朝は遂に李朝に対する「宗主権」を放棄、明治30(1897)年、李朝は国号(国名)を「大韓帝国」、国王を「皇帝」と改称し、遂に「独立」を達成した。言い換えれば、日清戦争における日本の勝利が無ければ、李朝は「独立国」となれなかった。
(6)「日韓併合」以来、年に一千数百万円から二千万円(当時の金額)もの一般経費補充金が、朝鮮総督府特別会計に補填され、その財政運営を支え続けたのですが、これらの資金は朝鮮人から搾取したものではなく、日本の国家予算(とどのつまりが、日本国民から徴収した「血税」)や、日本の金融市場で調達した公債だったのです。
朝鮮半島のインフラを整備したのは、朝鮮総督府だったと言う事実です。戦後、韓国は「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる国家の復興と高度経済成長を自慢しますが、その多くは、「日帝時代」に整備されたものなのです。朝鮮半島全土に張り巡らされた道路網・鉄道網・港湾施設等の交通インフラは、朝鮮総督府時代に、日本から投資した資金を元手にして建設整備されたのです。
朝鮮総督府は、治山・治水工事を筆頭に、荒れ地の開墾・干拓・灌漑用水の整備と農業インフラの整備をし、更に、粗放農業から集約農法へと転換させ、冬季等の農業閑散期には在宅副業等を奨励し、農民の意識と生活水準の向上を図ったのです。その結果、慢性的な食糧不足に苦しんでいた朝鮮半島は米の増産に成功し、遂には内地(日本本土)へ「輸出」する迄になったのです。
「創氏改名」は朝鮮総督府による「強制」では無く、朝鮮人側からの要望でなされた措置で、「自己申告」制だったのです。(「創氏改名」と言い、「日韓併合」・「日本語教育」と言い、朝鮮側から発議されたものが、「日帝」による強制に変わってしまうのですから、何とも釈然としません)
この「創氏改名」は内地に出稼ぎ労働に来た朝鮮人が、朝鮮人である事で、待遇等で「差別」されない様に、「日本名」を名乗る事を許可した措置なのです。そして、「創氏改名」は、日本と朝鮮が「同文・同種」で「同祖」であると言う思想(「日韓併合」・「日鮮合邦」の根本理念)に基づいたもので、現に、朝鮮半島と同様に、総督府が設置されていた台湾に対しては、「創氏改名」は許可制で、その審査基準も極めて厳しいものでした。
又、「創氏改名」が朝鮮人を「人種差別」する為になされた措置だと主張する人がいますが、これも違います。 例えば、朝鮮半島出身の生粋の朝鮮人であるにも関わらず、帝国陸軍に入隊し、遂には「陸軍大将」と言う陸軍最高の地位にまで登りつめ、最後まで「帝国軍人」として自らを全うした人もいました。
(7)「在日朝鮮人の帰国協力会」の代表委員に就任し、 在日朝鮮人の北朝鮮送還のため積極的に活動した小泉純也は、鹿児島県万世町朝鮮人部落出身の朝鮮人で鮫島姓を名乗り、小泉又次郎代議士の秘書となってその娘芳江との駆け落ち事件を通じて婿入りして小泉純一郎が生まれたことは周知の事実で、小泉純一郎は韓国大統領李明博とそっくりの朝鮮人顔立ちである。
金正日と初会談したときに、空白の10分間があったようだが、その時に小泉純一郎は北朝鮮での先祖のことを金正日から告げられたとも言われており、なんらかの妥協・譲歩が成された可能性がある。 それが覚醒剤、パチンコ換金取締り緩和なのか不明だが。。。。
一般的に、日本に北朝鮮製の覚醒剤が蔓延しているのは、その販路を取り仕切っている暴力団に在日朝鮮・韓国人が多く、パチンコ同様に警察にもいろいろなことでその分け前が入っているので取り締まりが緩いとも言われている。
スパイ天国の日本に、北朝鮮がわざわざ返還した拉致被害者の中にスパイを紛れ込ます必要はないはずで、朝鮮総連を動かせば必要な情報はいくらでも入手できるのが北朝鮮(金正日・金正恩)である。
2018年3月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
目からうろこ...て感じで、とても面白く勉強させていただきました
2014年9月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
面白く、サクサク読めてしまいました。
歴史はすごく苦手でしたが、近年の日韓関係から、苦手とも言っていられないなと思い読んでみました。
結果とても良くわかりました。
下手したら日本史より…。(ーー;)
もう一冊、同著者の日本人のルーツを探る本も同時に読むと更に理解が深まりますよ。
このような歴史を経たからこそ、あのような性質の韓国の政治家が出てくるのですね。
仕方がないと思います。納得しました。
後半、ネット情報が入っていたのは残念です。
前半がちゃんと検証された文章だっただけに。
そこを加味しても良本です。
この認識をもっと多くの人に広めたいです。
歴史はすごく苦手でしたが、近年の日韓関係から、苦手とも言っていられないなと思い読んでみました。
結果とても良くわかりました。
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もう一冊、同著者の日本人のルーツを探る本も同時に読むと更に理解が深まりますよ。
このような歴史を経たからこそ、あのような性質の韓国の政治家が出てくるのですね。
仕方がないと思います。納得しました。
後半、ネット情報が入っていたのは残念です。
前半がちゃんと検証された文章だっただけに。
そこを加味しても良本です。
この認識をもっと多くの人に広めたいです。